上石津に残る茅葺き民家
2008.07.30 |Category …活動報告
榎本です。
今回は,2007年12月13日に行った現地調査の報告です。
上石津町の最も南に位置する時という地区の中でも最も山奥に,
時山という集落があります。
今回は,時山集落に残るトタンを被った萱葺き民家を訪れ,
屋根の葺き替え作業が行われていた当時のお話を伺いました。
↑時山集落に残る茅葺き民家。写真奥の赤い屋根です。
上石津町内には,茅葺き屋根の民家が現存していますが,
全てトタンを被った状態であり,屋根が露出したものはありません。
唯一,緑の村公園内の民俗資料館のみが,現地の茅葺き民家として
露出した屋根を残しているものなのです。
とは言え,茅葺き民家がなくなったわけではありませんし,
当時の様子を知る地元の方もおられるということで,
お話を伺いに行くこととなりました。
↑お話を伺ったおばあちゃんのお宅です。
お話によると,昭和30年頃までは屋根の葺き替えが行われ,
地元にも数名の茅葺き職人さんがおられたということです。
現在は高齢のため亡くなられているようですが,
昔はほとんど地元の職人さんで作業を行ったようです。
人手の足りないときは,三重県藤原町や滋賀県多賀町など,
隣接する地域から職人さんを呼ぶこともあったそうです。
また,作業に従事するのは基本的にその家の住人でした。
それに加え,親戚や近隣の住人がが手伝いに来ましたが,
たいていは作業後のご飯やお酒などの振る舞いが目当てでした。
自分たちが手伝ってもらったら,次は向こうに手伝いにいく,
という結いや講の仕組みがうまく働いていた時代だったようです。
作業にかかった人手は,茅葺き職人が2~3名,
職人の手伝い(茅の切り揃えや手元,針受けなど)が15名程度,
ご飯の炊き出しなどが10名程度だったそうです。
この人数で,1週間程度の日程で作業を終わらせたそうです。
昔は雨が降ったときに屋根を守る手段がほとんどなく,
できる限り短期間で行うことが重視されたからだそうです。
↑家の内部から見た屋根裏。
最後に屋根の葺き替え作業が行われたのはもう50年以上も前ですが,
トタンが被せてあるお陰で屋根の状態はそれほど悪くありません。
いつかもう一度この茅葺き屋根に太陽の日差しが降り注ぎ,
葺き替え作業が村の恒例行事になることを願ってなりません。
↑別のお宅にも伺いましたが,お留守でした。
時山の集落だけでも,いくつかのトタン屋根が残っているのですから,
上石津町全体ではまだまだ多くの茅葺き屋根が残っていることになります。
時山の別のお宅へ伺ったところ,家主さんはお留守だったのですが,
玄関にて面白いお札を発見しました。多賀大社のお守りです。
↑多賀大社へお参りする「多賀講」のお札。
伊勢神宮にお参りする資金を集落で集める伊勢講は有名ですが,
時山集落にも多賀大社へお参りするための多賀講があったそうです。
現在は行われていないようですが,昔は日帰りで山を越えて,
峠の向こう側にある多賀大社まで参拝を行っていたそうです。
↑ふもとの時集落にもトタン屋根が多く残っています。
非常に貴重なお話を伺うことができた今回の調査でしたが,
茅葺き屋根を維持していくためには,材料を調達するだけではなく,
地域での人と人の繋がりも大切であることが分かりました。
時山だけでなく,瓦葺き屋根が普及した時期を境にして,
茅葺き屋根は減少の一途を辿ることになりました。
ノスタルジーとして茅葺き民家に思いを馳せるのではなく,
茅葺き民家で行われていた住まい方,人との繋がり方,
地元の自然の活用の仕方などを深く知ることによって,
茅葺き民家の良さを後世に残すことができればと思います。
書き込み:榎本